

日本おける展示会開催に当たって ロンドン フロイト博物館館長 エリカ・テイヴィス
「エジプト製、中国製、ギリシア製の品々が全て到着し、ほとんど無傷でこ
の旅に耐えていたし、ベルクガッセににあったときよりも、ここの方がずっと
引き立って見える。」
コレクション自体は、エジプト、近東、古典期、東洋および南アメリカの品々
を混ぜた折衷であり、フロイトの趣味が非常に幅広かったことを物語ってます、
今回のような展示会を通して広く一般公開されるにしたがって、彼の人となり
や情熱のもっと多くの側面さえも現れてきます。多くの品々が明らかに特別の
意味を持っています。アテネとエロスの像はおそらく最も明瞭な例であります
が、コレクションの大半がそのロマンチックで審美的な魅力のために入手され
たのでした。
今回のロンドンにあるフロイト博物館からの、日本初公開の古美術品の展覧 会は作品そのもののおもしろさだけではなく、これらの古美術品のコレクショ ンが精神分析の祖であるフロイトによって収集されたものであるという点から も多くの方々を驚かせるに違いありません。フロイトは様々な角度から細かく 研究されてきましたが、彼の考古学への情熱や飽くことを知らない古美術の収 集癖については、今日に至るまでほんの僅かしか公にされていないフロイトの 複雑な人格の一面のあらわれであります。
フロイトの生活は、ハインリッヒ・シュリーマンのトロイの発見や、ハワー ド・カーターのツタンカーメン王墓の発見というようなイベントに世界中が考 古学に興味を持ち、大騒ぎしたイベントに囲まれていました。フロイト自身の 考古学に対する関わりは遥か昔の家伝の聖書に遡ることが出来ますが、その聖 書は異国の異様な神々や奇怪な神殿のイメージが装飾的に描かれているもので した。これらのイラストレーションは、フロイトにとって死ぬまで続いた考古 学への妄想となる印象を残しました。またこの妄想はフロイトの患者達も共有 することを強制させられました。古美術品の詰まったケースに囲まれて、精神 分析の治療を受ける人は、少なくともウィーンでは、アブシンベルにあるラム セス世の神殿のグラビア写真のしたで、あの有名な寝椅子にもたれ掛かり魂 を開いたのでした。要するに過ぎ去った古代はフロイトの情熱だったのです。 フロイトが彼の友人のオーストリアの小説家であるステファン ズバイグに1 931年に認めているように、"私は実際に心理学よりも考古学の文献の方を よりたくさん読んでいる。"
1938年までフロイトは79年間ウィーンに住んでいました。ユダヤ人と して彼は、ナチスによる占領の後、そこでの生活が急激に困難になったことを感 じました。開業することを妨げられたり、かれの著書を焚書されただけでなく、 ある時には実際に突撃隊によって、かれのベルガッサ通り19番地 (Berggasse 19)の自宅にまで武力を行使されて脅かされました。 この老いた彼の神経は、遂にゲシュタポが彼の娘のアンナを短期間拘留したと きにずたずたになってしまいました。彼女の釈放に際してフロイトは、彼等が 亡命することを堅く決意したのでした。彼の四人の姉妹たちは、亡命の旅をす るには歳をとりすぎていたので、そのまま彼の地に留まったのでした。後に彼 女達は強制収容所に送られてしまいました。
フロイトの友人達は、結集し出発を早めることを手助けしてくれました。 彼の国際的な地位と、そして全く思いもかけなかったナチスの海外移住の公式な 許可への共鳴によってフロイトは本や家具だけでなく、今まで長年にわったて 収集してきたエジプト、中近東、ギリシア・ローマ、そしてオリエント(中国、 インドその他)の古美術品の数々も一緒に持ち出すことが可能となったのでし た。これらの古美術品は、フロイトの崇拝者や同僚達によって購入されたハム ステッドのメアスフィールド・ガーデンス20番地の新しい家に移されました。
収集とは中毒症状のようなもので、フロイトは自分のコレクションに決して 満足することが出来なかったのでした。 彼はこれらの品々を広範囲に渡り、 時代、地域を問わずあらゆる機会に手に入れるようにし、1938年には次の ように彼の思想を概説しています。"コレクションに何も追加するものがなく なってしまったら、そのコレクションは死んでしまったも同然である。"フロ イトの何もかもかまわず収集する性癖は、彼のコレクションをあまり魅力のな いものにしてしまいましたが、何年かのあいだには幾つかの第一級に重要な作 品を収集することが出来ました。 そのうちの幾つかはウィーンの、例えばロ バートラスティグのような古美術商より手に入れた作品で今回のこの展覧会の ハイライトとなっているものです。見事なブロンズの古代エジプトの神々の像 ーオシリス、イシス、そして子どものホルス、イムホテップやベス 磨耗した 肩を持つ中国のテラコッタ、ギリシアの壷、青銅製のヤーヌスの頭部のついた 油瓶そしてフロイトの個人的な印であるローマのインタグリオ、これは後に彼 の娘のアンナによってブローチに作りなおされました。フロイトの古美術品は、 彼にとっては自分の子どもであり、それら総てを心より慈しんでいました。学 問の神、トト神である聖なるヒヒの磨かれた表面は、フロイトが話をする時に 最も気に入っている品々を手で弄んでいた様子を、私たちに思い起こさせてく れます。
このことについての直接の証拠はなにもありませんが、フロイトが最初に収 集を始めたのは彼の父ヤコブの死に起因したものであるという言われています。 そして時が経つにつれ、彼の古美術品は彼の職業上の孤独な年月により必要と された慰めを与え、沈黙している聞き手達は年月を重ねていくことによる知恵 と支えを与えました。考古学での 地面を発掘するということは、フロイトに とって人間のこころの中を発掘していくことへの適切な暗喩となりました。 すなわち彼が自分自身を取り囲むようにして置いた古美術品は彼の思想の中の 真実を地中から発掘して見せました。つまりこれらの古美術品が彼の思想にア イディアと確信を与えただけでなく、孤立していた彼を励ましていたのです。
ジークムント・フロイトは、今日フロイト博物館となっている彼のハムステ ットの自宅で、1939年9月23日に亡くなりました。コレクターは最後に は、古代ギリシアの壺に納められ北ロンドンのゴーダス・グリーンの納骨堂に 眠っています。
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